それでもつづく!

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学生雑記。真面目なこともくだらないことも書いてます。

美術教師「芸術に完成はないから、内申10はつけないよ」ってあり?

考察 高校生

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以前からかなり気になっていたことがあります。

 

それは、現在僕が通っている公立高校での美術教師の言葉。

 

「芸術に完成はありません。よって内申10はありえない。」

 

僕の通う高校では、学年末のみ5段階評価でその他の学期は10段階評価になっています。(確か)

 

それで、 どの科目の先生からも内申点のつけ方について学期末に話が上がるんですが、その時に気になったのが先ほどの言葉です。

 

その時に僕が思ったのは

「えー!!10もらえるように努力したのに!!」

ということではなく、

 

「う〜ん、これって公言していいものなのか?」

ということ。

 

第一僕は多少絵が描ける程度で、学校内で能力が抜きん出ているわけではありませんし、作品製作中も私語が許可されているのでベラベラ話していたりします。

 

内申点で上を目指せるような生徒ではありませんが、なんとな〜く考えてみても少しおかしい。地域だとか先生によって内申のつけ方が変わるのは理解できる話だけど、内申の上限を一人の教員が変更してしまうことはあまりよろしくないんじゃないかなあって思いました。

 

とはいえ、僕はただの生徒ですし、内申点のつけ方に口を出すことはできません。

 

それでも、ある程度詳しく知っておく必要があるなあって思ったんで、とりあえず文科省のHPをのぞいて見ます。美術の現行学習指導要領です。

1 目標
(1) 主体的に美術の活動に取り組み美術を愛好する心情を深め,心豊かな生活を創造していく意欲と態度を高める。
(2) 対象を深く見つめ感じ取る力や想像力を一層高め,独創的・総合的な見方や考え方を培い,豊かに発想し構想する能力や自分の表現方法を創意工夫し,創造的に表現する能力を伸ばす。
(3) 自然の造形,美術作品や文化遺産などについての理解や見方を深め,心豊かに生きることと美術とのかかわりに関心をもち,よさや美しさなどを味わう鑑賞の能力を高める。

第2章 各教科 第6節 美術:文部科学省

 

はあ。。まあ美的感覚って人によりけりだから曖昧です。

まあこんなものでしょうね。

 

ここで内申点のつけ方について勉強してみます。

 

まずは過去の話から。

2001年以前までは相対評価を用いられていました。

 

相対評価とは、

教育評価の一つで,集団内における相対的位置を明らかにする評定方法。

 (相対評価(そうたいひょうか)とは - コトバンク

とのこと。

 

相対評価でしたら、最も高い内申点が一定数出てくるんでしょうが、現在用いられているのは絶対評価です。

 

絶対評価とは、

指導目標に照らして設定された基準によって行われる評価。

 (絶対評価(ぜったいひょうか)とは - コトバンク

とのこと。

 

まあ義務教育を受けた方なら大体わかりますよね。

 

ここでNAVER内申点まとめ )をのぞいてみたのですが、

実際に評価する場合は、「到達度評価」と「認定評価」の2つを用いて生徒本人の成績を評価します。

とありました。

 

漢字を見てなんとなく理解できそうですが、上記のページで解説が載せられています。

 

まず「到達度評価」ですが、クラスのほかの生徒や学習成果とは「無関係」に「本人のでき」で評価するというものです。主に家庭科や体育といった「実技」を伴う授業で使用されます。その時の評価基準は「教師が掲げた到達目標」に達したかであります。

ここで「評価規準」と「評価基準」というどちらも「ひょうかきじゅん」と呼ぶ非常に紛らわしい言葉が登場します。この2つはいったいどのようなものかというと…

●評価規準
到達度評価に際し、設定した到達目標のこと(現場では「のりじゅん」と呼ぶ)

●評価基準
到達目標に対し、生徒がどこまで達成したかを評価する指標のこと
(現場では「もとじゅん」と呼ぶ)

簡単に言うならば「評価規準」は目標、「評価基準」はチェックポイントということです。
具体例を挙げると「トンカツ定食を作ることができる」というのが「評価規準」で、「レシピに書いてある手順で作成できる」「盛り付けが美しい」「栄養バランスがとれている」「おいしい」というのが「評価基準」に当たります。

次に「認定評価」ですが、これは「教師が認める」ことによって評価するというものです。
この場合、評価基準が「教師の思い描くイメージ」「教師との相性」などという「公開しようのない」ものばかりなため、数値で置き換えることができないのです。
この評価の最大の長所であり短所でもあるのが、評価基準を作っている「先生」であるということです。そのため「先生のお気に入り」の生徒ばかり成績が高く、それ以外の生徒は低く抑えられてしまうため生徒の反発を招いたり、先生が掲げた目標が生徒の「壁」になって早々に学問を放棄したりするといった問題が生じます。

 

なるほどな〜。

前者の到達度目標に沿って話すと、「私が定める芸術の目標は上限がないものだから、いつまでたっても到達できるものではないよ。」ってことかな?

 

でも、評価基準に基づくならば、「この技法が使える」だとか、「色彩が鮮やか」、「芸術鑑賞力がある」というような項目をクリアすれば、最大評価になりそうな気もする。

 

今回の話題に密接に関わってくるのは後者の「認定評価」かな。

先生の発言から考えると「私の芸術に対するイメージは『完成がないもの』だから10はありえないよ」ってことなのかなあ…

 

その実、5段階評価の時は5がつく子はいるんです。

 

はぁ、難しいわ。

 

こんな感じで、ぼんやり抱いていた疑問を文字にして並べただけの記事ですが、芸術ってやっぱり難しいですね。具体性を持ちませんし、また、哲学的な面を持っているので数字で優劣をつけられるものではないかもしれません。

 

芸術×評価による内申のつけ方は、すごく曖昧なものかもしれないですね。

 

今回問題視したのは、内申点に先生個人で上限を設けてしまっていること、そしてそれを公言していることであり、評価の仕方がおかしい!という話ではありません。

 

だから、

「私は、まだ10をつけられる生徒にあったことはありません。」

とかだったらすんなり納得できたかもしれないなあ。。

 

そんな感じで、深夜のテンションでのんびり書いた記事でした。

それでは。